兼子真一Facebookページ

兼子真一Facebookページができました。

簡単なホームページみたいなものですが、Facebookにアカウントを

持っていない方でもご覧いただけます。

 

いままでの作品や制作過程の画像をアップしています。

画像ブログのようなものですかね。

 

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よくなかったら押さなくていいよ。でも、いいと思うよ、笑。

 

お嫁にいった子

兼子のむかーしの作品を見た。

今から7年前に制作し、売却された作品。

写真では見た事があるものだったが、実物にお会いしたのははじめてのもの。

この作品は兼子の元を離れ7年間、どんな役割をはたしていたのか想像してみる。

 

立体は存在感があるが、絵画と違って気分によって絵をかけなおしたり

位置をかえたりするのが難しい。

多分、ずっと同じ場所で、持ち主の視野の片隅にちらりと入るか入らないか。

存在すらあたりまえのようにある風景の一部になっているようで

(わたしの勝手な想像ですが…)とても感動した。

 

感動…??とはちょっと違うかな…

昔の彼氏に会ったような….いや、そんなんでもないな。

女子は(わたしは!)記憶を切り捨てて生きているもんな。

捨てていかないと生きていれないことって多々ある。

そんな一部に会ったような感じがした。

忘れていたけれど、強烈だった記憶のひとつ。

 

そして、立体作品を所有しようと思う人は絵画やデザイン的作品に比べて

かなり少ないと思う。

絵画だって一部のひとのみ、

お金を持っている人やそれなりの場所、保管できる人に限られる。

その二つを持ち合わせていても、家具や食器、プロダクトにはこだわるが、

役に立たないものには所有しない方々ばかり。

30万のTVは買うけれど、30万の絵画は買わないよね。

500万の車は買うけれど、10万の彫刻は買わないよね。

 

気に入っている、絵の一枚。立体のひとつ。

ゆたかな生活ってこういうことだと再確認した。

そして、財産のひとつなんだと。

 

でも、お金の無い人も、楽しむのはタダだし(美術館での展示や個展を見るとか)

タダの要素がArtのいいところでもあるし、純粋に通わせ共鳴してくれるのは

こういう人たちなんだろうな。

 

 

兼子真一 UTAKATA【泡沫】  2008

 

ランニングハイを求めて

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アトリエにこもって12時間耐久制作中。また、大きな作品になりそう…

 

彫刻家は体力勝負です。

 

重い、寒い、汚い…生業としてはたいへん!

 

 

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はい、走りましょう。

頭の中が「無」になるのもいいものです。

 

 

 

Birthday

KANEKO Shinichi   2012   制作中

 
 

これからも

常に現状に満足せず

常に流れ流され定住せず

感情のおもむくままに生きます。

在るがままに受け入れてもらえることに感謝。

 
 
 
 

聞こえない音

数日前のこと。朝の五時。

朝方、玄関のほうから兼子が誰かと話している声が聞こえた。

隣に住む大家さんの妹さんだった。

彼女は70歳をすぎて、シミひとつないキメの細かい白い肌をし、

広い一軒家に一人暮らしで、お兄さん(うちの大家さん)以外の来客は見た事が無く

引っ越してきてから、挨拶くらいする程度の仲。

 

兼子から話を聞くと、超音波のような不快な音が夜中から一晩中聞こえて眠れない。

以前、パソコンの設定に来た人がココのうちはPCの回線がやたらと多いと言われ、

うちのインターネットから出る「何か」が原因ではないか?と。

兼子は、うちは何も聞こえないし、飛んでるインターネットの電波はうちだけじゃなく

無数にあるからそれは考えにくいと説明した。

 

そして次の日、朝っぱらから隣のおばあちゃんがまた来た。今度は私が対応。

「今、インターネット使ってる?もう、眠れなくて…」

明らかに、疲れきった顔をしていて心配になる。

兼子から話は聞いていたが、もう少し詳しく聞いてみる。

その低周波?超音波?モスキートーン?のような音は私達が引っ越してきてから

たびたびあり、今年にはいってから頻繁に聞こえるという。

どこに聞いたらよいかまったく解らないからインターネットの業者に聞いてみて

とお願いされた。

「お兄さん(うちの大家さん)には相談されました?」と聞くと

「兄はお前の頭がおかしくなっただけじゃないか?と取り合ってくれないのよ…」

そうかもね、という言葉を飲み込んで対応する。

事実、低周波騒音の苦情はあるらしいが、同じ家の中でも聞こえる人と聞こえないひとが

いるらしく、精神的な問題もあって難しいらしい。

 

次の日、KDDIに連絡し見てもらうがとくに変わった事は無く、はじめての事例。

おばあちゃんが納得していないようなので、業者のお兄さんからいろいろ説明してもらう。

腑に落ちない様子のおばあちゃん。だだ「じゃあ、お宅のインターネットじゃなかったのね」

一度、疑うとそのことが払拭できないでいたらしい。

電波がもし見えたなら、今のこの世の中、クモの巣の中で生活しているようなものだろう。

まだ腑に落ちないおばあちゃんに、市役所で聞いてみると約束し、お兄さんである大家さんに

電話して全てを伝えた。

 

そして、2日後区役所での話を伝えにうかがうと憔悴しきったおばあちゃん。

キレイな肌には口のまわりにヘルペスの出来物ができており、手でしっかりとかくしている。

「あれからも毎日夜中に聞こえるの。もう、寝不足で限界。

でも、あなたたちのインターネットではないのは昨日わかったわ。あの電柱よ。

前の家の人が無線をとばして何かいやな音を出しているに違いないわ。遠隔操作で。

あなたのお家は漆喰だから聞こえないけど、うちは石膏ボードだからね。響くのよ。

布団をかぶったって、耳栓したって、その音は聞こえるのよ….」

 

うちのインターネットの次に新たな疑いを探し出していた。

自分の信じているものに疑いもせず、見えないもの聞こえない音に悩まされ

決して自分自身を疑わない姿勢に関心すらしてくる。

しかも、うちも石膏ボード。漆喰ではない。話していることにも矛盾がでてきた。

そして、矛盾がでてきて安心する。

原因はうちじゃなかったこと(生活音、兼子の作業の音を含めて)

ころころ変わる話に真剣に付き合うことじゃないと思ったこと。

かわいそうと思って手を差し伸べたところで、じゃあ、うちに泊まってください、

とは言えない。

ひとり暮らしの老人。他人ごとではない。

わたしだってそうなるのかもしれない。

見えないものに怯え、見えない音に悩まされ、身内には相談できず、

赤の他人の隣人に吐き出す。

 

作家だったらこれを題材に短編小説が書けそうなほど、根が深く入り組んでいる。

一見、なんでもない普通の毎日を細々と過ごしていたのに。

まさか自分にしか聞こえない『音』に悩まされるなんて。

 

何が本当で何ががウソなのか、こんな有り余るほどの情報社会でもわからないこと。

本当は聞こえているのかもしれない。

聞こえなくても、おばあちゃんにとってはそれが真実なのかもしれないね。

 

なんだかどうでもいいけど、音なんてわたしには聞こえないけど、

眠れなくなってきたじゃないか!

もう、あのババア! 笑!!

 

 

 

夢の跡(あと)

 

 

 

KANEKO Shinichi  2012   制作中

チクチク。

 

長年使っていた椅子のファブリックに穴があいた。

当て布をしてちくちく。

チクチク。

 

単純で同じ作業の構築。

思考が活性化され、透明感を増す感覚がすき。

 

 

どっかに穴、あいてるところない?

 

 

避難

寒い。アトリエは室内駐車場を改装して作っているため

極寒らしい。

そういえば、しばらく行ってないな。

新しい原型もあるらしいけど…笑。

 

と、思っていたらダイニングキッチンに避難してきたヒト。

 

KANEKO Shinichi  2012  制作中

寒すぎてフードをかぶせてあげたらしい。

あったかそうじゃないか!

 

なんか視線を感じるんだよな…。

 

 

猫の恩返し

 

KANEKO Shinichi  2012  制作中

 

兼子のブログ(詳しくはコチラから)によると10分で創った

「居合い抜き」ならぬ「居合い創り」だそうだ。

武士だ!

 

わりと、のんびりゆったりペースで行動している兼子が

このスピードで創っているのを見れなかったのは本当に残念。

 

「鶴の恩返し」のようにひっそりと身を削ってつくりだす。

夜中に。

起きたら夜中に積もった雪みたいに音もなく

その痕跡を残してた。

 

本当は誰がつくってるのかな?

兼子じゃなくてシャビじゃないのかな?

 

 

 

記憶の記録

記憶ほど曖昧なものはないとおもう。

その瞬間、記録したとしても時間が経つと色は薄れ、かたちは変わっていく。

なによりも厄介なのは、ひとによって姿を変えてしまうところ。

わたしにとっては辛い記憶なのに、一緒に体験したであろうひとは

なんとも思っていなかったり。逆もしかり。

 

楽しかった感覚だけは残るのに、詳細がまったく思い出せない。

けど、感触や匂いの記憶は残っている…とか。

それはいいようにも悪いようにも変化し、埃のように積もるのみ。

 

自分の記憶にまったく責任は持てません。

誰も正確には判断できないし、たとえそれが間違っていたとしても

罪にはならないし、裁くことも不可能。

 

それが真実なのか、正確なのかはどうでもいいことなのかもね。

自分に堆積していくものなら、ここは自分で管理していかなくてはいけない領域。

そこは自由で絶対的な場所でなければならないと思う。

自分を作り上げていく重要な臓器なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ2年で一番印象的だった記憶の写真がなかったな…。

でも、一番鮮やかな記憶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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